なんとなくしんどい。理由もないけど、確かに疲れてる日
みんなで笑ってるときでも、心の中が重たく沈んでる日って、ある。
やらなきゃいけないことはこなしてるし、ごはんもちゃんと食べてるし、
たぶん私より大変な人はたくさんいる。
それでも、なんかしんどい。
泣くほどじゃない。理由も説明できない。
でも確実に、「疲れてるな」って感じる日がある。
ふいに傷ついて、でも顔には出せなくて
たとえば、誰かの何気ない一言にふいに傷ついて、
「え、そんな気にするほどだった?」って顔されると、
「あ、今めんどくさい人って思われたな」って内心ざわつく。
自分でも「気にしすぎかな」と思うし、
わざわざ取り立てることじゃないのもわかってる。
でも、胸の奥がざわざわして、呼吸が浅くなって、なんとなく苦しい。
それでもちゃんと“大人として”ふるまって、
「大丈夫な顔」をして、無理やりいつも通りのテンションを保って、
そのまま夜になる。
「感じすぎる」って、悪いことじゃない
過去に「気を引きたいだけじゃない?」とか「もっと軽く考えたら?」って言われたこともある。
ほんの少し、他の人より空気を拾いやすいだけ。
でもそれは、説明してもなかなか伝わらない。
だから私は、自分の中でこう言い聞かせてる。
「私は人より少し、感じすぎる体質なだけ」って。
HSPとか敏感気質って、悪いものじゃないし、弱さでもない。
むしろ、小さな変化に気づけたり、
誰かの言葉の“温度”を察したり、場のエネルギーの重さに反応できるって、
本当はすごい力なんだと思う。
理由のない疲れは「エネルギーの満杯サイン」
理由がはっきりしないのに、ぐったり疲れてる日。
それって、エネルギー的には“自分の中のスペース”が狭くなってるサインなんだと思う。
だから、人の声がうるさく感じたり、スマホの通知にびくってなったり、意味もなく焦ったりしてしまう。
外の刺激に敏感になってるときって、もう自分のキャパがいっぱいってこと。
見た目ではわからないし、自分でも気づきにくいけど、確実に、すり減ってる。
自分の「内側の空間」を整える習慣
そんなときは、私はそっと、自分の内側にスペースをつくるようにしてる。
ただ静かに、“自分の内側の空間”を広げてあげる。
白湯を飲んで、スマホを伏せて、外の光をほんの少し浴びて、
「今ここに戻る」だけで、ふしぎと少し、楽になってくる。
無理に元気になる必要はない。
前向きな言葉で自分を鼓舞しなくてもいい。
ただ静かに、ただ穏やかに。“なにもしない時間”を、ちゃんと味わう。
白湯をゆっくり飲んで、スマホを伏せて深呼吸してみる。
「何かをしなきゃ」は置いといて、
ただ“今ここにいる私”に戻るだけで、ちょっとずつ整ってくるから不思議。
しんどさに名前がつかなくても、ちゃんと尊重していい
大人になれば、いろんなことがある。
仕事は評価と直結するし、手が抜けない。
人と比べられる機会も多い。周囲との調和も求められる。
そんな中じゃ「普通に生きてるだけ」でも、そりゃしんどくなって当然だよね、って思う。
でも、しんどさに名前がつかないと休めないような空気は、やっぱり、まだどこかにある。
「元気そうに見える人」が一番疲れてることだってあるのに。
最後に:やさしいピリオドを、自分に
私自身、働けない時期が長かったからこそ、
それでも毎日ちゃんと動いてる人たちはほんとに尊敬してる。
ほんと、おつかれさまですって思う。
それだけで、すごいことです。
だから今日は、少しだけ早めに布団に入って、
小さな声で「おつかれさま」って自分に言ってみて。
泣くほどじゃないけど、しんどかった今日に、やさしいピリオドが打てますように。
泣かなくても、声に出さなくても、
あなたが“ちゃんと感じてる”ってことが、救いになるから。


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