【なんでもないふり】がうまくなってしまった私の話

感じすぎるわたしの言葉

エネルギーを感じすぎる人の「しんどさ」の正体とは

「大丈夫」って、つい言ってしまうクセ

「大丈夫?」って聞かれると、反射で「うん、大丈夫」って返してしまう。

ほんとはちょっと疲れてたり、なんとも言えない謎の寂しさを感じてたり、

「なんかあった?」って気にかけてほしい日もあるのに、

その気持ちをぐっと飲み込んで、空気を読んでしまう。

気づけば、“なんでもないふり”がうまくなってた。

小さな頃から身についていた「空気を読む」という生き方

実家が自営業で、家族みんな外面がよかった。

だから私も、自然とそれが当たり前になってた。

「ちゃんとしなさい」「女の子なんだから」

そんな言葉もたくさん聞いてきた。

小学生の頃にはもう、誰かの顔色を読むのが習慣になってたと思う。

どんな言葉を選べば場がなごむか、どう返せば相手が安心するか。

空気を読むのは“能力”みたいなものだった。

でも、ある時ふと気づいた。

「これ…私、誰の人生生きてるんだろ?」って。

“思いやり”で自分を壊していた

ずっと誰かの期待に応えてばかりいたら、だんだん自分のことがわからなくなってた。

空気を読めば“できる人”に見える。

でもそれって、実はものすごく自分をすり減らす行為だった。

本当は好きなものも、嫌いなものもあったはずなのに、

それすら、他人の基準で選んでしまってた感覚。

ストレスで胃腸炎になったとき、やっと気づいた。

エネルギーを“感じすぎる人”のしんどさ

最近とくに思うのは、私は“目に見えないエネルギー”にも敏感だということ。

誰かの表情に混ざるピリつき、場の空気の重さ、言葉に出てない期待や遠慮の気配――

そういう行間を自然に受信してしまうから、知らず知らずのうちに気を張ってしまう。

エネルギーを感じる人ほど、「なんでもないふり」が上手くなってしまう。

だって、自分の感情よりも“場の空気”の方がハッキリ伝わってきちゃうから。

それって、優しさでもあるけど、

気づかぬうちに“自分”を置き去りにするクセにもつながる。

「今日はちょっとしんどい」って言っても大丈夫だった

最近、少しずつだけど変わってきた。

「今日はちょっとしんどい」って、なんでも“大丈夫”で済まさずに言えるようになった。

最初は怖かったけど、思ったことをそのまま伝えてみても、世界は別に壊れなかった。

むしろ、「無理しないでね」ってやさしい言葉が返ってきたりもした。

空気を読みすぎて、自分がわからなくなってた

私は、人付き合いが苦手なんじゃなかった。

空気を読みすぎて、自分を押し殺してたからしんどかったんだ。

それに気づいたとき、少しだけ心が軽くなった。

今は、自分のエネルギーの輪郭を少しずつ取り戻してる最中。

たとえわかってもらえなくても、

「私はこう感じてる」って言えること。

それが、自分とのつながりを取り戻す第一歩になる。

最後に:自分との小さな約束を

もし、今これを読んでくれているあなたが、

今日ちょっとしんどいなって感じているなら――

無理しないって選択も、ちゃんとアリです。

たとえ声に出せない日でも、

心の中でそっと「帰ったらゆっくり休もうね」って

自分にだけでも声をかけてあげて。

その小さなひとつが、

あなたの中のエネルギーを、やさしく包みなおしてくれるから。

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