声が震えた大学の講義室で
大学時代、ある心理学の授業でのこと。
その日はいきなりだった。
名前を呼ばれて前に出て、レポートを読み上げろって言われた。
100人くらいいる大講義室。
急に何の心構えもなく、いつも先生が立っている場所に私がいる。
心臓がドクドクして、足が震えて、喉がカラカラになった。
読み上げる声が自分でも分かるくらい震えてた。
視線が一斉に集まってくるのが怖くて、目のやり場に困った。
不自然に下を向きながら、レポートを見た。
もう恥ずかしいとかを超えて、呼吸の仕方が分からなくなった。
それなのに、そのレポートの内容まで授業の最後に堂々とけなされた。
先生の一言が突き刺さった。
「内容もまとまりがないし、伝える力がない」
妙に静まり返った講義室。
少し後からパラパラと何の感情も感じられない拍手の中、私は席についた。
別に笑われたわけでもヤジられた訳でもないのに
“公開処刑”ってこういうことか、と思った。
見えないナイフで何度も刺される感じ。
笑われるのが、なにより怖かった
その日以来、人前で話すときにあの場面がよみがえるようになった。
電車の中で、家に帰っても、眠る前も。
ふとした瞬間に頭の中で再生される。
声が震える自分、笑ってる誰か、うつむいて逃げた私。
さらに最悪だったのは、知り合いの男がその出来事を周りに言いふらしてたこと。
「あいつヤバかったで」って、笑い話にされてた。
ますます人の目が怖くなった。
それでも何とかしたくて、話し方教室に通ってみたりもした。
でも、怖さはなかなか取れなかった。
変わるきっかけは「仲間」の一言だった
そんなトラウマの学生生活から何年もたったある日。
一緒にコーチングを学んでいる仲間から言われた言葉があった。
「誰もあんたに興味ないよ!笑」
「ていうか、ここには笑うような人いないから大丈夫」
最初は興味ないとかそんな…って「ガーン」となった。
でも、じわじわ心に効いてきた。
私はずっと“みんなにどう見られるか”を気にしすぎていたなぁと改めて思った。
その人が言う通り、実は誰もそこまで人の失敗を見てないし興味なんかない。
それに笑うような人は、今の自分の世界にはもう関係ない。
そう思えた瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。
あの震えてた声がやっと自分の声に戻ってきた気がした。
もしかしたら気にしすぎてたのは、自分だけだったかもしれない
誰かに笑われた記憶って、なかなか消えない。
でも、あの時と同じ自分でいる必要はない。
怖さを抱えたままでも、少しずつ進めばいい。
わたしは「あのとき」で止まってた時計の針を、仲間の一言で少しだけ動かせた。
今もあの日のわたしみたいに
まだ「声を震わせてる」人が今もどこかにいるかもしれない。
そういう人の時間がそっと動き出すような場所を
わたしも作っていきたいと思ってる。


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