たまに思う。
「ひとりの時間って、贅沢だな」って。
人と一緒にいるのが嫌なわけじゃないし、
むしろ大切に思う人とは、ずっと話してたいって思うタイプ。
でも最近は、一人きりで過ごす静かな部屋にいるとき
あえてスマホの電源を切っている。
電源を切っただけなのに、外界と切り離されたみたいな
あの「ポツン…」って感じがなんだか心地いい。
ひとりじゃないと、見えないものがある
日常生活は良くも悪くも刺激が多い。
だからこうして意識的にひとりを感じる時間を持たないと
自分がボヤける感じがして苦しくなる。
寝転んで目を閉じて…
ようやっと自分の輪郭が戻ってくるような感覚なのかもしれない。
ずっと誰かに気を使って生きてきた気がする。
声のトーン、表情、リアクション、
相手の目を見て「これで大丈夫かな」って無意識に確認してる自分。
家族にも、職場にも、SNSにも、
いつの間にか“ちょうどいい存在”でいようとしてた。
だからこそ
自分の気配しかない部屋って、すごくほっとする。
何かを話さなきゃいけないわけでもなくて、
愛想笑いもしなくていいし、
気の利いたコメントも考えなくていい。
たったひとつの照明のあかりと、夜の静けさと、
お湯を沸かすケトルの音。
それだけで、十分満たされる瞬間がある。
「ひとり=孤独」だと思っていたあの頃
昔の私は、「ひとり=孤独=居場所を失う」だと思ってた。
だから、周りの目や評価ばかりを気にしてた。
無理してでも誰かと一緒にいようとしたのは、
それだけでクラスの最下層カーストから抜けられる気がしたから。
でも――本当の自分はそこには居なかった。
誰かと一緒にいても、心の奥がずっとざわざわしてた。
今思えばそれは、見捨てられたら困るっていう恐怖心だったのかもしれない。
今でこそ「おひとり様」って市民権を得てるけど、
大人になっても私は、ひとりになる勇気がなかなか持てなかった。
大学入学したての頃。
知り合いが1人もできなくて、
お昼休みにトイレの個室で時間をつぶしてた。
そんな時期も、たしかにあった。
でも今は――
静けさに包まれる一人の時間が、愛おしい。
やっと、本音の自分がしゃべりはじめる。
「もうちょっと休みたかったんだよね〜」
「ほんとは、あの時くやしかった!」とか。
“なにもない”からこそ、戻れる場所
静かな部屋でひとりを感じるって、
何も特別なことじゃないのかもしれない。
でも、その“なにもない”時間の中にこそ、
「自分に戻る」ための入り口がある気がする。
ひとりの時間って、
社会生活の中で、無意識に“気配を薄めてる”ような自分を、
そっと迎えに行く時間かもしれない。
今もたまに、さみしさが顔を出すときがある。
でも、最近それも悪くないなって思えるようになった。
さみしさも、自分の中の大事な音のひとつ。
そんなふうに、
ひとりの時間を「贅沢だ」と感じられるようになったこと自体が、
ちょっとした成長なのかもしれない。
そして今日もまた、
静かな部屋で、お湯を沸かす音を聞きながら、
小さな呼吸をひとつ、大事にしてみる。


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