部屋の乱れは、心のざわつき
部屋が荒れてるときって、
だいたい心の中も散らかってる。
分かってるんだけど、片づけられない日もある。
「あとででいいや」って脱いだ服をそのへんに置いて、
空のペットボトルがいつの間にか3本。
シンクには、まだ洗っていない食器の山。
……そんな状態。
たいてい、自分の中もモヤモヤしてて、
なにが原因かも分からないまま、
心がずっとざわついてる。
でも、ある日ふと気づいた。
部屋って、自分の中身が映る場所なんだって。
「整える」って言葉が、少しだけ好きになれた
「整える」って言葉、昔は苦手だった。
丁寧な暮らしをしてる“意識高い系”の素敵な人が使ってそうで、
やたらキラキラして見えて、ちょっと眩しかった。
自分には無縁の言葉だと思ってた。
だけど——
「物と心がリンクしてる」って、ほんとうかもしれないって、
自分の中の小さな変化を感じるたびに、そう思うようになった。
たとえば、ずっと出しっぱなしだった段ボールを片づけた日。
なぜか、頭の中の重たい考えごとも、少しだけ軽くなった。
たたまずに放っていた服をクローゼットにしまっただけで、
「こんなこともできないなんて…」って思ってた気持ちが、
ほんの少しだけやわらいだ。
なんでそんなことで?って思うかもしれないけど、
私にとっては、物理的な“余白”ができることで、
心にも「ちょっと座れるスペース」ができた気がするんだ。
散らかってもいい。そこに気づけたなら
かといって、毎日きれいに保ててるわけじゃない。
でも、掃除ついでに部屋を見ることで、
今の自分の状態に気づけるようになった。
それだけで、
前より悩みすぎなくなってきた気がする。
今でも、忙しかったり、心がざわついていると、
部屋がぐちゃぐちゃになってしまうことはある。
でも、そんなときは
「ああ、いまちょっと疲れてるんだな」って思えるようになった。
前みたいに責めるんじゃなくて、
自分の中の小さな声が、ちゃんと聞こえた気がした。
整えるって、“ちゃんとやる”ことじゃない
整えるって、
“ちゃんとやる”ことじゃなくて
“今の自分に気づいてあげる”ことなのかもしれない。
散らかってる日もある。
でもその中に、自分の本当の声がある。
それに気づけたなら、
不用意な自分責めは、きっといらなくなる。
そんなふうに思えるようになってから、
心の中も、すこしだけ風通しがよくなった気がしてる。


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